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ほんとに雑記帳です。
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2008年8月20日、福島地方裁判所は、帝王切開手術で女性(当時29歳)を失血死させたなどとして、業務上過失致死罪などに問われた加藤克彦医師(40)に20日、無罪を言い渡した。


この問題の関心の高さはすごい。マスコミはいざ知らず、いろいろなブログでも取り上げられている。事件の経緯、判決の内容についていろいろな人がそれぞれ詳細に検討し意見を述べている。


私が読んだ限りでは、概ね(というより圧倒的に)、この判決に対する評価は肯定的なものが多いようだ。


わたしも、少しだけ、意見を書いておきたい。いくら、ご遺族とはいえ、彼らの主張はどうにも気になって仕方がない。


・検察側は医学書の記述を根拠に「直ちに子宮摘出に移行すべきだった」と主張した。(8月20日 西日本新聞)
・原告側は「はく離を中止し、子宮摘出に移るべきだった」と訴えていた。(8月21日 愛媛新聞)


これはいくらなんでも滅茶苦茶な言いがかりであろう。そもそも加藤先生は、術前に帝王切開時の輸血の可能性、子宮摘出の可能性について説明しているのである。それに対して、「妊婦は20歳代と年齢も若く、子宮温存の希望があった」(県立大野病院医療事故についての報告書 平成17年3月22日)のである。


もし、加藤先生が検察の主張どおり、「直ちに子宮摘出に移行した」としたら、医療の標準的な措置と違って「直ちに子宮摘出を行う必要はなかった」「新たに生まれてくる可能性がある子供たちを殺した」と言いがかりをつけられ、同じ目に遭っていたとしか私には思えない。その時は、マスコミからも総バッシングを受けたであろう。


遺族の言動には、彼らには彼らの言い分があったとしてもそのように思えてならない。


・終始固い表情の渡辺さんは「私が本当に知りたいのは、手術中の詳細なやりとりではなく、(加藤医師が)どうして態勢の整った病院に娘を移さなかったのかということだった。裁判では明らかにされず悔しい。命を預かっている以上、すべての不安を取り除いて臨んでほしかった」と、不満をあらわにした。(8月20日 産経新聞)


この主張はおかしい。「妊婦の希望もあったため、大野病院で行うとしたことはやむを得ないと思われる。」(県立大野病院医療事故についての報告書 平成17年3月22日) 希望を出すのなら、態勢の整った病院で手術して欲しいと言うべきであった。妊婦の希望に従ったことを批判される筋合いは加藤先生にはない。


・福島地裁判決は、24時間以内に「異状死」を警察に届けるよう義務付けた医師法21条について「診療中の患者がその病気で死亡した場合は『異状死』に当たらない」と判断。要件を厳しく解釈した。(8月20日 佐賀新聞)
・被害者の父「病院の裏玄関で、娘のなきがらを引き取る際、先生から病理解剖をしますか、ときかれて、しない、と即答しました。福島県立大野病院事件第12回公判(ロハス・メディカル・ブログ様より引用)


遺族は病理解剖をしないと回答している。被害者の死に不審はないと判断していたのだ!これを異状死とするのは言いがかりである。


・被害者の夫「病院は、必要な安全のためのものが整っているところです。医師の機転や処置のとりかた、手術に間違いがなければ、なぜ妻は死んでしまったのでしょうか。」福島県立大野病院事件第12回公判(ロハス・メディカル・ブログ様より引用)


それは、出産というリスクに立ち向かったからである。医者は神ではない。ベストを尽くしても万全の態勢で臨んでも人間の生き死にを制御できない。医療行為は事務手続きではない。できて当たり前という仕事とは本質的に違うのである。

 

・被害者の父「病院関係者から、娘の死にあたっては、他の病院、十分設備も整った他の病院であれば良かった、安全対策をしなかったという内容がわかりました。肉親にとっては、大学病院の調査報告と報道と同じ内容でした。大野病院でなければ、娘を亡くさずにすんだと、強く感じました。」福島県立大野病院事件第12回公判(ロハス・メディカル・ブログ様より引用)
・福島県警は被害女性が死亡した翌年に同県の事故調査委の発表で事態を知り、発生から約1年2カ月後の06年2月に加藤医師を逮捕するという異例の経過をたどった。日本医学会や日本産科婦人科学会など全国の医療団体が「結果責任だけで犯罪行為とし、医療に介入している」と抗議声明を出すなど、論議を呼んだ。(8月20日 琉球新報)


大野病院でなければ娘が死なずにすんだというのであれば、なぜ多くの医療団体が抗議声明を出すのだろうか。もちろん、大野病院でなければ死なずにすんだということはないからである。


・被害者の夫「私は今、父親として、責任をもって二人の子を育てています。親として当然であります。今回、私がお話したいのは、責任についてです。手術を受ける患者は、手術中、自分の力ではどうしようもありません。信頼する先生に命を預けるのです。当然、先生には責任があると思います。加藤先生には、いいわけや責任転嫁をせず、何が欠けていたのか、正面から向き合ってほしいです」福島県立大野病院事件第12回公判(ロハス・メディカル・ブログ様より引用)
・被害者の夫「私もそうですが、誰でも自分がかわいい。しかし、自分のとった行動、言動には責任をもつことが、大人として当然だと思います。いいわけをせず、大人として責任をとっていただきたいです。子供と妻のために、責任を追及し、責任をとってもらいます。私も父親の責任として、子供を育てていきます。」福島県立大野病院事件第12回公判(ロハス・メディカル・ブログ様より引用)


そんなに言うのなら、被害者の夫は加藤先生を信用し、妻を託したという選択が過失ではないのか?その責任をどうしてとらないのか納得できない。


 

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