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毎日新聞(2008年8月5日)東京夕刊より


「東京都教育委員会が職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した問題で、通知の撤回を求めている都立三鷹高の土肥信雄校長(59)や教育評論家の尾木直樹さんらが4日、都教委との公開討論を求めて都庁で記者会見した。都教委に20日までの回答を求めている。


 都教委の通知は06年4月に都立校向けに出されたが、土肥校長は校長会などで「教員の言論の自由を奪う」と撤回を求めてきた。先月10日、都教委に公開討論を申し入れたが拒否されたため、尾木さんや漫画家の石坂啓さんら4人の識者とともに会見。土肥校長は「生徒に民主主義を教えるのが学校。教員組織も民主的にならなければ」と訴えた。」


全くあきれた話だ。なぜ、議決権を奪うことが言論の自由を奪うことになるのだろうか?考えてみたこともないのだろう。


今まで、会社や役所の会議にたくさん参加してきたが、議決権がトップにしかないからといって意見のでない会議をみたことがない。(議決権がないから意見を言う気はないというのはわがままで職業意識の低いバカどもの主張にすぎない)


そもそも民主国家たる日本で国民は、国会議員の選挙、最高裁判所裁判官の国民審査、憲法改正の国民投票以外に直接、国政に関与できない。


だからといって、この国を民主主義国家でないというバカはいない。ほとんど国政に関与できなくても、マスコミも評論家も、それ以外の一般国民もいろいろな方法でさまざまに自分の意見を述べている。それは、一人一人に、議決権がなくても「国民」としての自覚があるからだ。


そして、議決権がないから、意見を言わないというのは教員としての自覚が足りないからにすぎない。


「生徒に民主主義を教えるのが学校。教員組織も民主的にならなければ」


なぜ生徒に民主主義を教えるのが学校だからといって、教員組織が民主的でなければならないという結論になるのか。


「国民の民主主義社会を守るのが日本の警察。警察官の組織も民主的にならねば」となるのか?すべて、警察官の多数決で捜査を決めなくてはならないのか?


学問もないくせに、教えるのが下手なくせに、社会で生きていくことの厳しさも知らず、生意気な態度しかとらない。こういう連中こそ教員免許を剥奪すべきだろう。

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