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もう1年くらい前のことだが、読売新聞北海道支社夕張支局編「限界自治 夕張検証」(梧桐書院)を読んだ。たしか、東京都の猪野瀬直樹 副知事が、テレビでこの本をほめていたのが、この本を読むきっかけだったと思う。


女性記者が、夕張市の市役所や市民など隅々まで取材して書いたなかなかの本だとその時は思った。が、どうもよくわからないところがあった。それは、国のエネルギー政策と夕張市の財政破綻についての記述だ。


「炭坑のピークは1960年。現在の10倍の11万6908人の人口を抱えるなど発展したが、安い海外炭との競争、さらに国のエネルギー政策の転換で、戦後復興を支えてきた炭坑は、60年代以降バタバタと閉山していく」(129ページ)


国のエネルギー政策とはいったい何だったのだろうか?これが、この本を読んでも全くわからないのである。おそらく相当な年齢の人でもないと知らないだろう。(あるいは、このあたりのことを研究している人はわかっているのかもしれない)


実は、このあたりのことがわからず、インターネットで調べたがわからない。私が、調べた限りでは、夕張市の財政破綻についてブログで書いている人もあっさり、「国のエネルギー政策の転換のせいで」夕張は破綻した。とあるだけだ。


やっと、「国のエネルギー政策」について書いてある本を見つけたので、紹介しておきたい。その本は、堺屋太一「組織の盛衰」(PHP文庫)である。


堺屋太一さんといえば、「峠の群像」(1982年NHK大河ドラマ)「豊臣秀長」「巨いなる企て」などで有名な作家であり、小渕内閣では経済企画庁長官(1998年)にもなった、誰でも知っている人物だが、じつは、もともとは通産官僚であり、「サンシャイン計画」にも携わったエネルギー問題の専門家でもある。


彼の著書から、引用させていただく。


「政府は、社会党などの要求した「炭坑国家管理」による国営化こそ拒否したが、巨額の補助金と財政融資を行った。一九五五年には「石炭鉱業合理化法」を制定、合理化、オートメーション化に多額の資金が注入された。一九六三年にから八二年までの二十年間に、石炭産業に投入された国費(税金)は、一兆七千六百四十二億円、財政投融資は四千六百四十億円に上る。今日の貨幣感覚にすれば五兆円、国家予算との比率で見れば七、八兆円にもなるだろう」(75ページ)


夕張市(だけではないが)を保護するために、これほどの負担を行ったのだ。もちろん、負担したのは国だが、最終的には日本国民全員である。夕張市民は、あるいは、その支援者たちは、国のエネルギー政策の転換を批判するが、このような巨額の負担を未来永劫、日本国民に負担させろといっているのである。


どうして、夕張市民のためにそこまでしなくてはならないのか?日本国民は、夕張市民の奴隷なのか?「夕張市」を維持するためにそこまでしていたのだ。しかも、負担していたのはこれだけではない。まだまだあるのである。


「同時に、財源維持のために、競合エネルギーの石油には、輸入関税かけられた。石油の価格を高くして、石炭に補助金を出したのだから、競争条件の変更は大きい」(75ページ)


石炭産業維持のために莫大な税負担をおわされただけではない。さらに、石油には税金が課せられ、これも国民の負担になったのである。


だが、これだけではない。税金の重さも衝撃的だが、夕張市民(たち)の生活のために日本国民が負った負担は経済的な負担だけではない。


 

「だが、何よりもすさまじかったのは、一九五五年から施行された「重油ボイラー規制法」である。石炭の市場を確保するために、工場ばかりか大都市のビルや風呂屋まで重油ボイラーを設置することが禁止されたのである。このため、工場地帯も都心のビル街も煤煙に包まれ、人々は煙臭い空気を吸わされたものだ。」(75ページ)


これは衝撃的だ。日本の公害の多くも夕張市や石炭産業の維持のために発生したものといっても差し支えない。このようにまき散らされた煤煙のためにみんなが、命を削って支えてやっていたのだ。このような政策の転換(石炭の産業保護の廃止)を夕張市が批判するとはどういう神経をしているのか?


なぜ、大マスコミ様は、「国のエネルギー政策」の中身が何であったかについては黙っているのだろうか?滅茶苦茶な話だ。これでは、夕張市維持のために多くの人命が損なわれたと言わないわけにはいかない。この煤煙のために多くの人命が損なわれたのだ。死ななくても寿命を縮めた人々はもっと多数にのぼるのである。


しかも、国のエネルギー政策の中身はまだこれだけではない。


 

「この間、日本で産出しない特定の原料炭を除いては、輸入が禁止され、石炭価格がべらぼうな高値で維持された」(75-6ページ)

 


したがって、「限界自治 夕張検証」の「安い海外炭との競争、(省略)、60年代以降バタバタと閉山していく」(129ページ)はウソである。酒井麻里子記者の勉強不足か、意図的なウソである。


日本国民はこれほどの犠牲を払って石炭産業と炭坑のある町を支えてきた。このようなエネルギー政策が転換されてなぜ、政府が批判されなくてはならないのか?


「「夕張は、石炭はいらないという国の政策に翻弄された。今も夕張に対する国の仕打ちはとても冷たい。三浦さんは、そう感じている。」」(71ページ)


石炭は必要ないから国に無理矢理切り捨てられたのではない。日本中が必要としていないし、使いたくもないのに、無理矢理国に石炭を使わされていたのだ。今の日本国民は、石炭を使いたくても使えない状況にあるとでも言うのか?


「夕張は国のせいでこうなった。国からいくら借金してもいい」と豪語する元市長(139ページ)


以下の記述を読んで欲しい、どこが国が夕張に冷たいのか?


 

「1979年度から2005年度にかけて、夕張市の財政破綻の要因となった観光事業に施設の整備費だけで147億3900万円が投じられ、このうち国の補助は21億8900万円だったことが報告された」(197ページ)


国はちゃんと補助しているのである。夕張市がお金の使い方がへたくそだっただけだ。第一、夕張市と同じような炭坑の町で福岡県の赤池町(現:福智町)は、夕張市のようにインチキせずに、きちんと財政再建団体となり、一生懸命努力して予定よりも2年も早く再建した。夕張市がヤミ起債などインチキしなければよかっただけである。血のにじむような努力をなさった福岡県赤池町の町民だった皆様方に失礼というものだ。

 


「国や道は知らなかったのか?」という人がいるが、「地方自治」である以上、そんなことは関係ない。


そう思って読み返すと、このようなあまりに夕張市に肩入れした、かたよったおかしな記述が目立つ。


「それよりも市は、土地の付属物、つまり、炭坑住宅、水道整備、公衆浴場、学校など、それまで炭鉱会社が負担してきたすべての社会インフラ(基盤)を整え、少しでも労働者や家族に踏みとどまってもらおうとしたのが、財政に負担をかけることになった」(130ページ)


これは、滅茶苦茶な記述だ。そもそも社会インフラの整備は炭鉱会社のやるべきことではなく、もともと地方自治体である、夕張市の仕事だ。それまで、やらねばならないことをやってこなかっただけだ。なぜ、これが財政に負担をかけることになるのだろう。自分で書いていておかしい思わないのか?


どうも、日本には、それまでの経緯は無視して、今弱い立場にあるというだけで一方的に擁護するという偏った報道が多すぎる。あきれてものが言えない。



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