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ほんとに雑記帳です。
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「大分県教育委員会の教員採用をめぐる汚職事件で、県教委は29日、実態調査をした結果、今年度教員採用試験で、不正による合格者と不合格者を各21人と特定し、合格者全員の採用を取り消すと発表した。希望者は臨時講師として雇用を継続する。不合格の受験者には本人の意思を確認の上、10月1日以降採用する方針」(8月29日 時事通信)


この事件については、すでに、多くの報道がなされ、ブログなどで騒がれているし、このブログでも一度取り上げた。(ならば大分県の教員を全員指導力不足教員にせよ(http://bloquenote.blog.shinobi.jp/Entry/27/))

その後、実際に二学期になり、学校、不正合格教員、保護者の反応を見ていると、これが教育なのか?これが社会人の世界なのか、あまりのことに驚愕せざるを得ない。


保護者までおかしな対応をしているところを見ると、単に教育界の問題ではなく、大分県全体がおかしいのではないかと思わざるを得ない。もちろん、他の都道府県でも同じようなことがあるかもしれないが、今のところでてきていない。少なくとも、大分県民はもっとずっと冷静に判断した方がいいだろう。


「 別の小学校では1日、採用取り消し対象の女性教員が朝一番に出勤。処分を伝えた校長に頭を下げあいさつした。「2学期からも頑張ります。よろしくお願いします」

 校長は「やる気も資質もある彼女を育てたい。ただ、これから周囲の環境が激変するだろう。いったいどうすればいいのか…」と唇をかんだ」(9月2日 西日本新聞)
 

このあきれた校長は、目の前の状況にきわめて激しく情緒的に反応している。いったいこれで校長が務まるのだろうかと心配になってくる。「やる気も資質もある彼女を育てたい」というが、なぜ「やる気も資質もある」彼女とやらは、たかが教員採用試験ごときにも自力で合格できていないのだろうか。そのことに考えが及んでいない。


また、誰を採用して教員として育成するかは、校長のわがままできめていいことではないのだ。きちんと採用試験に合格し、教育委員会が任命した人間に限られるのである。この校長は、「彼女」をその日常をみて、優秀かどうか判断したのだろうが、そのような表面的なことだけを見て、それだけで判断するとは「うかつ」という言葉では、表現しきれないレベルの低さだ。「試験に自力で合格できていない」という厳然とした事実がそれを物語っている。この「校長」に人を観る眼はない。


こう書くと、当然「たかが、ペーパーテストの結果で人は判断できない」と主張する感情的な人もいるだろう。


しかし、それこそが間違いなのだ。以前のブログの記事(http://bloquenote.blog.shinobi.jp/Entry/27/)にも書いたが、もう一度記載しておく。


「私も、ペーパーテストができるから、実際に業績をあげられるという関係にはならないと思う。しかし、現実の社会に存在する問題を解決するのは、ペーパーテストの問題を解決するのよりももっと難しい。


簡単なペーパーテストの問題も解決できない人間が、なぜ、難しい現実に存在する問題は解決できるのだろうか。より難しい、現実に存在する問題を解決できて、簡単なペーパーテストの問題を解決できないという方がおかしいのだ。


また、百歩譲って、そういうことがあるとしても、「私は、ペーパーテストはできませんが、もっと難しい現実には対処できます」と主張するのは、他人に信頼してもらう(採用してもらう)態度ではない。」


ペーパーテストとは、多くの人が思っているとおりで、たいしたこともないものだ。だからこそ、そのたいしたことのないものができないならば、合格できない人間はたいしたことがないのである。そして、合格したから、たいした人間かは、わからず、それからが問われるのである。


ペーパーテストがどういうものかについての判断は、多くの人は間違っていない。しかし、そこからの結論の引き出し方を誤ってはならない。


「「私は悪いことをしていない。採用を取り消すなら、すればいい」‐大分県の教員採用汚職事件を受け、県教委から不正合格とされた教員20人のうち12人が退職願を出した3日、同県中部の小学校の男性教員(20代)は西日本新聞の取材に憤りを隠さなかった。この教員は退職願を出していない8人のうちの1人。「今は人間が信じられない」とも語った」(9月4日 西日本新聞)
 

この男性教員が、試験に合格する能力がないのは、この発言からもはっきりしている。彼が言うとおり、悪いことはしていないだろう。不正をしたのは、教育委員会だ。(ただし、教員から教育委員会に行っている人間もいるから、教育委員会は教員側でもある)


彼の採用が取り消されるのは、試験に合格していないからなのだ。彼は状況を全く理解できていないということだ。合格できたはずがないだろう。これを読んだだけで、能力が低いことは明らかだ。


「5日の期限になれば、採用取り消し処分になるが、臨時講師の道も残されている。だが、男性教員は「腐りきった大分県の教育界が変わるまで、もうかかわりたくない。取り消しするなら、すればいい。臨時講師にもならない」と話した。

 それでも、担任として受け持つ児童たちのことを思うと胸が痛む。「いくら私に能力がないと言われても、せめて1年間だけは勤め上げたかった」との本音も」(9月4日 西日本新聞)
 


上に引用させていただいた西日本記事の続きだが、彼の本音ものぞいている。「もうかかわりたくない」とはもう、教員採用試験を受ける気がないということだ。ということは、やはり自分に合格できるレベルがないということを認めているということだ。


しかも、すごいのは、「いくら私に能力がないと言われても、せめて1年間だけは勤め上げたかった」との本音も」という件だ。こういいながらも、臨時講師になることが認められているにもかかわらず、「臨時講師にもならない」と言っているのである。


完全に、子供をダシにしている。本当に1年間だけ勤め上げたいのなら、臨時講師になればよかったのだ。そうしていないのは、「1年間だけ勤め上げたかった」はウソである。


また、能力がないなら、早く解任して別のまともな教員に交替させないと、その不正で低レベルな「教育」が、子供たちに蔓延して、子供たちの能力、人格の形成に悪影響を与える度合いがどんどん大きくなる。このことに気づかないのは、低能な証拠である。


こんなこともわからないのだから、教員採用試験ごときにも受からないだろう。

「一連の事件を受けて、不正の実態を調べた県教委のプロジェクトチームの調査報告書に、口利きを依頼した者についての詳細な記述はない。このため、県内自治体の教育担当者は「もし親が口利き依頼をしていても、決して子には伝えないだろう。子は親を一生疑うことになる。今回の県教委の対応は、親子のきずなにまで傷を付けたのではないか」と批判した」(9月4日 西日本新聞)
 

この県内自治体の教育担当者は本当にとんちんかんな人間だ。「親子のきずなにまで傷を付けた」というが、県教委の対応の前に「親」が子供(不正合格教員)を裏切っているのである。親が余計なことをして子供を裏切った時点で、もう絆なんかないのだ。県教委のせいで、絆に傷が付いたのではない。県教委の対応は絆に傷が付いたことを知らせただけだ。これから子供は親は信用できないという前提で行動できるようになるからこれからの人生をまだ修正できる。


怖いのは、この「県内自治体の教育担当者」は、「親の口利き」を全く悪いことと思っていないと言うことだ。それを子供に知らせるな、と主張するのは、親の裏切りや不正を見過ごせと言っているのだ。不正よりも偽りの信頼関係を重視せよと言うのは本末転倒だろう。


こういう余計なことをする馬鹿な親は次から次へと余計なことをして子供(不正合格教員)に弊害を与えることは明らかだ。県教委の対応でそれが断ち切られるのである。これを見過ごしてはならない。


「江藤被告らのパソコン内にあった点数改ざんのデータを示しても、涙を浮かべて「なぜ自分が不正の対象になったのか」と詰め寄られた。「いろいろ調べたが、誰が働き掛けたのかは分からなかった」としか答えられず、県教委幹部も「これで納得してもらうのは難しい」と認める。

 4月採用の教員が勤務する県北部の小学校長は「学校に取り消し対象者がいるかどうかは明かせない」とした上で「末端の現場に一番しわ寄せがくるということに憤りを感じる」と話す。」(9月4日 スポニチ)

 

不正合格教員の能力というのは、本当に低い。「なぜ自分が不正の対象になったのか」は、口利きは自分の身内からのものなのだから、県教委に聞くよりも、自分で調べた方がわかるだろう。こんなこともわからないのだ。

県北部の小学校長は「末端の現場に一番しわ寄せがくるということに憤りを感じる」と言うが、不正を行っていたのは、教員なのだ。そのことを忘れてはいけない。

「臨時講師として勤務し続けることにした教諭が在籍する県中部の小学校は3日夜、教諭の担任学級がある学年の保護者に説明会を開き、校長が「一生懸命やっているので、担任として受け入れてほしい」と呼びかけた。教諭が「子どもたち一人ひとりを大切にしていきたい。これからもよろしくお願いします」と涙を流しながら語ると、保護者から拍手が起こったという」(9月3日 朝日新聞)
 

大分県では、「教員」というのは、プロの「仕事」ではなくアマチュアの「お遊び」なのだろうか「一生懸命やっているので、担任として受け入れてほしい」というが、「一生懸命やっている」というのは、仕事をやる以上、ただ単に当たり前のことだ。一切なんの加点の対象にもならない。「一生懸命やっていない」ということが、クビの条件になるだけだ。適切な指導ができるかどうかが問題だが、教員採用試験にさえ合格できないのだから、無理に決まっている。


これで、拍手するとは、保護者も保護者で彼らも仕事はやっていないのだろう。少なくとも仕事はできないとは断言できる。教員もアマチュア、保護者も社会人としてはアマチュアレベルなのだ。こんなことで拍手するとは、保護者たちは学芸会でも観ているつもりなのだろう。


結局、延々と、できそこないの人間を育ててきたのだろう。こんなアマチュアに教育されるとは本当に子供たちがかわいそうだ。


さらに忘れてはならないのは、この不正合格教員のために、「当然、一生懸命やろうとした」合格者が教員になれないでいるのだ。完全に、無視されている。


「「納得できない。人生が狂うことになる」。県教委から採用取り消しの通知を受けた教諭からは、反発の声が相次いだ。「事実を受け入れることができず、中には涙を流したりする人もいた」(県教委の担当者)という」(9月2日 毎日新聞)
 


以前の記事でも書いたが、「不正採用された教員は、元々採用されるはずはなかったのである。」だから、取り消されても合格できなかった、正常な状態に戻るだけだ。合格できなかったのに教員を名乗っている今の方が異常なのだ。どうしてこんなに状況の把握ができないのだろうか。


大分県の皆さんは、それでも不正合格教員が教員であることを選択したがっているのである。これこそ、「地方の疲弊」の真の原因だろう。こんな「ぬるま湯体質」「不正隠蔽体質」が蔓延しているのだ。




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