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ほんとに雑記帳です。
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「 大分県の08年度教員採用試験で得点改ざんにより合格したとされる20人に8日、採用取り消しや退職の辞令が交付された。臨時講師にならずに学校を去る担任は7人。この日、5カ月余りをともに過ごした児童に別れを告げた。「先生、戻ってきて」。一度は教壇を離れる決意をしながら、子どもたちの手紙に励まされ、担任を続けることにした教員もいる。

 「先生は悪いことはしていません。もう一度、教員採用試験を受け直すため、勉強したいと言っています」

 男性教諭が自主退職し、教壇から去ることになった県南部の小学校。この日、男性が担任していたクラスで校長が事情を説明し、男性が書いた手紙を配った。「みんなの前で発表、よくできたね」「放課後に残って机を並べてくれてありがとう」。児童一人ひとりにあてて、思い出がつづられていた。

 クラス全体への手紙は校長が読み上げた。「新しい担任の先生と頑張ってほしい。先生も真剣に勉強して、みんなが卒業するまでに学校に戻るからね」。聞きながら、涙を浮かべる児童もいたという。

 新しい担任は「仲良くなりましょう」と呼びかけ、黒板に絵を描きながら自己紹介した。打ち解けた雰囲気に、校長は胸をなで下ろした。

 県中部の小学校では8日、始業式のあった1日から休んでいた男性教員が出勤した。

 「先生!」。姿を見ると、教室にいた約30人の児童が廊下まで駆け寄った。児童と会うのは夏休み中の登校日以来、約1カ月ぶり。教員の表情にも笑顔が戻った。

 自分や親に不正の心当たりはない。どんな経緯で得点が改ざんされたのか、まったく解明されないままだ。自分の採用を取り消しながら、県教委の内部の処分は甘いと思い、わだかまりが消えない。

 「もう、こんな県教委のもとで教えられない」。男性は自主退職はせず、臨時講師としても学校に残らないことをいったんは決意した。

 「話を聞いてくれる先生が大好き。やめないで」「会えなくなって、悲しくて涙が出てきました」「もっともっといっしょに勉強したり遊んだりしてほしい」

 5日夜、担任するクラスの児童から手紙が家に届いた。保護者も「先生には3月まで続けてほしい」と書いていた。「担任としての責任を最後まで果たすべきか」。一晩悩み、臨時講師として担任を続けることを校長に伝えた。

 来年4月以降、教員を続けるかどうかはまだ迷っている。大分県の教員採用試験を受け直すつもりはない。

 それでも、子どもたちと再会した喜びは格別だった。「来年3月まで、思い出をいっぱいつくりたい」(熊田志保、黒川真里会) 」(09月09日 朝日新聞)


朝日新聞が好きそうなお涙頂戴のくだらないストーリーだが、「教育」の重要性を考えると本当に暗澹たる気分になってしまう。


気になるのは、以下の部分だ。

「自分や親に不正の心当たりはない。どんな経緯で得点が改ざんされたのか、まったく解明されないままだ。自分の採用を取り消しながら、県教委の内部の処分は甘いと思い、わだかまりが消えない」


これを読むと、自分や親に不正はないと思いたいようだが、では、教育委員会がなんの根拠もなく一方的に合格させたというのだろうか。


通常では合格できないような、「できそこない」を県教育委員会は合格させているのである。 そうすると、不正合格者に大幅に加算した分、平均点が上がってしまうため、全体的に他の受験者の点数を減らさないといけなかったのだ。


合格させようという動機がなにも働かない受験者に対しては減点方向のバイアスがかかっているのである。誰からも頼まれていない人間に加点したらその分の調整まで必要になってくる。そんなことをするのだろうか。


この不正合格教員の親か大学の指導教授か誰かが頼んだかわからないが、わざわざ本人である不正合格教員に、不正をしたと告白するだろうか。不正の心当たりがないというのは、単なる願望にすぎない。思いこみにすぎない。


誰が、不正合格を頼んだのかは、教育委員会よりも本人の方が調べることができる。何もせずに、「心当たりがない」というのは、とにかく一方的に教育委員会を悪いと言いたいのだろう。


彼の採用が取り消されたのは、本当は合格していなかったからであり、懲罰ではない。それを、県教育委員会のメンバーに対する懲罰と比べるのはおかしな話だ。


元々合格できない人間が、合格を取り消され正常に戻っただけである。教育委員会の懲罰が充分だと言っているのではない。そもそもが比べるものではないと言っているのである。


「もう、こんな県教委のもとで教えられない」というが、はじめからその能力も資格もないのである。これでは、教員採用試験に合格できる人間であるはずがない。完全に勘違いしている。


自分に教育できる能力がないにもかかわらず、「5日夜、担任するクラスの児童から手紙が家に届いた。保護者も「先生には3月まで続けてほしい」と書いていた。「担任としての責任を最後まで果たすべきか」。一晩悩み、臨時講師として担任を続けることを校長に伝えた。 」これでは、丸一年間多くの子供たちに低レベルな教育をして社会に害悪をまき散らしてしまう。


保護者も教育者もどうして子供が懐いているかどうかといった子供の情緒の面だけに目を奪われるのだろうか?幼稚園と同じでいいと思っているのだろうか?これでは教員には仕事をしているとかプロ意識など生まれているはずがない。結局、みんなが変わらない限り、朝日新聞と同じレベルでいつづけるのだろう。

 

 

 


 





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